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[花はしろたえ] Frowers Are Innocent



この作品もラテンアメリカ作家、
フリオ・コルタサルの短編小説「すべての火は火」をヒントにして描いたもの。

こちらも今回読み返してみたら、筆者が自分の漫画を描く上で借用したのは
「過去と現在が交互に描かれ」、「その2つのストーリーが、最終的に火炎により交わる」という辺り。

小説の方では「古代ローマの闘技場の決闘」と「現代フランスの男女間のもつれ」という
まるで無関係な物語が併行して語られる、まさに画期的・斬新な内容で
自分が描いた漫画とは似ても似つかない傑作だったから、逆に安心してしまったよ。

まあ「クライマックスに起きる火災」というのは言い逃れ出来ない…「インスパイア」(笑)ではあるけれど
その一方でエリアス・カネッティの小説「眩暈」や、泉鏡花の「日本橋」なども意識しているので
火事一つ例に採っても、影響はあちこちから色々なんじゃないかと。


ところで筆者、この漫画のストーリーは一体どう解釈されるのか?…というのを少々考えてみた。


まず途中経過は色々すっ飛ばして、ラストより前のページは全部「夢」
いわゆる「夢オチ」と考える人も割といるんじゃないかなあと。…これを[解釈:01]としよう。

でも実際にはラストページの枠外は30%グレーで塗りつぶされているので、
つまりあの場面は「回想」シーンであるはず。
03ページ目には全く同じ台詞があるので、そちらと同じ過去時点で起きた出来事となる訳。
これを[解釈:02]とする(…これが最も一般的な解釈じゃないかな)。

また、[解釈:01]の様にラストシーン(=枠外が30%グレーのページ)が「現実」だとするならば、
逆に「枠外が白いページ」が「夢(または「幻想」)」なのだという解釈も成り立つと思う。
…これが[解釈:03](かなり乱暴な気もするが、全部夢というのよりはマシか)。

更にひょっとしたら「回想シーン」と思われたページは、実はそうではなく
枠外が「白」でも「30%グレー」でも、どちらも「現実に」「現在時制で」起きた事だとしたら…
「30%グレーのページ」は回想シーンではなく、離れた別の場所で同時に起きた事の表現かもしれない
(日本が夜なのにまだ明るい場所だから、西の方…東南アジアでもヨーロッパでも
それっぽい場所があるならどこでもいいや)…これが[解釈:04]。
そう解釈するととたんに、同じ姿形の人間が同時に存在するという「ドッペルゲンガー」テーマの話
という事になって、「白」枠側の少女が最後に火に包まれる理由づけになるんじゃないかな
(多分、「30%グレー」側の少女は以前火事跡のある町に来ていて、その際青年と
「白」側の少女とも出逢っているのだろう)。…少々おかしな所も残ってしまうが、まあそれはそれ。


…などという風に思考(愚考?)が広がり、なにやらパズル的に楽しくなって来たので
上記みたいな「複数の解釈が出来る様に」意識的に描いておいたという、実にご苦労な話
(もうちょっと何か考えていた気もするけれど、昔の事なので忘れてしまった)。


いやまさに「何を言っているんだお前は」、という状態になってしまったけれど
暇な作者が当時愚にもつかない事を考えていたんだなあ、とでも思って頂ければよろしいかと
(あと強い精神的ショックを受けると、その事に関した「記憶」が部分的に失われたり
別の内容に書き変えられてしまうという実際の事例を元にした…というのも付け加えておくかな)。

雑誌発表当時「ありがち」みたいな事を人から言われて、頭に来たのも今やいい思い出。
今回この漫画を「好き」と言って下さる方がいたのは、本当に嬉しかった。



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